
美大への興味が芽生えて
母親が美容師、父親がものづくりの仕事をしていた影響もあり、幼い頃から手先を使うことが好きでした。どちらかといえば内気な性格で、外で遊ぶよりも家の中で過ごすことが多く、アニメのキャラクターや画家の作品を真似たりと、絵を描くことが好きな子どもでした。 中学生の頃に教わった美術の先生が筑波大学で美術を専攻した方で、授業中に先生の大学時代の話を聞くうちに、「美術大学って面白そうだな」と興味を持つようになりました。中学・高校ともに美術部には所属せず、身長を伸ばしたいという理由から高校ではバレー部に入部しました。家では好きな絵を描いたり、美容院の道具など身近なものを使って造形遊びをすることが多かったです。 高校で進路を考える際に、「美術大学もいいかもしれない」と思い、目をかけてくださった美術の先生に相談すると、「君は東京藝術大学を目指したら」と背中を押され、東京藝術大学を目指すことにしました。
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藝大から飲食店勤務、教員へ
当時学力よりも技術力が重視されると言われていた油絵科を志望し、高校2年生から長期休みには美術予備校に通いました。油絵ができれば、表現の幅が広がるという利点がありましたが、それまで油絵の経験はなく、試験でも油絵具を一切使わずに受験しました。
東京藝術大学は表現の仕方がとても自由な学校です。絵に限らない表現方法を模索する中で、写真を使った作品やインスタレーション作品を制作しました。結局、油絵具には一度も触れることなく卒業しました。
大学院修了後は、「自分の実力を試したい」と思い、2年間フリーターとして働きつつ個展を開催して創作に没頭する日々を過ごしました。やがて生活とのバランスを見直す必要を感じ、アルバイト先だった飲食店に就職。制作から一旦距離を置き、4年間カフェや飲食店の運営に携わりました。
その後、人生を改めて見つめ直し、「ここではない世界で挑戦してみたい」と31歳のときに長野県へ戻り、高校の講師として新たな一歩を踏み出しました。両親の助言で取得していた教員免許が役に立ち、新たな道に進むきっかけとなりました。
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教員として、作家として
講師3年目に教員採用試験に合格し、教員としての道を歩み始めました。同時期から美術教員による展覧会への出品を始め、毎年の制作と展示を重ねる中で「国展に出してみては」と勧められ、4年前から国展にも挑戦するようになりました。教員で作家活動をしている人が周りにもいるので、とても刺激になります。 作家としては、自分自身の心境の変化に寄り添った作品を、その時々で人の目に触れる形で発表し続けていきたいと考えています。「死ぬまで続けていれば、きっと何かになる」と考え、これからもチャレンジを重ね、展覧会への出展の機会を広げていきたいです。教員としては、美術を通して生徒と向き合う一期一会の時間を大切にしながら、自分のときのように進む道のヒントとなるようなきっかけを提供できる存在でありたいと思っています。
おおもり こういち 1978年立科町生まれ 小諸市在住 長野県軽井沢高等学校美術教諭 長野県小諸高等学校卒業後、東京藝術大学油絵科に入学 同大学院修了後、飲食店勤務を経て長野県の教員に 2021年から国展に出品し3度入選 2025年に開催された第99回国展にて絵画部奨励賞受賞
