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医師を目指す
小児科医だった父親の勤務先の富山県で生まれ、幼い頃は各地を転々としていました。小学3年生の頃に長野市に移り住みましたが、小学生時代は前から数えたほうが早いほど身長が低く、運動はあまり得意ではありませんでした。当時発売されていた雑誌の付録の歌集を見ながら歌うことの方が好きでした。小学4年生の頃、国語の教科書に載っていた演劇の台本で弟2人と朗読劇を行い、オープンリールのテープレコーダーに録音をして楽しんだのをよく覚えています。 長野市立柳町中学校に入学し、もともと仏像が好きだったこともあり歴史研究の部活動に入部しました。その後、長野県長野高等学校で鉄道研究同好会に入り、鉄道模型を作ったり仲間と鉄道の撮影をしたりして高校時代を過ごしました。 医師だった父親の背中を見て育ったこともあり、医師を目指して名古屋保健衛生大学医学部に進みました。高校時代に身長が約15センチ伸びたため、大学時代は運動にも挑戦しようと考えて、バドミントン部に所属しました。熱心に練習を重ねていくと、上級生とも互角に試合ができるくらいめきめきと上達しました。そして、西日本医学生体育大会では上位に入ることができました。
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小児科医として日々邁進
大学卒業後は順天堂大学小児科医局に入局し、NICU(新生児特定集中治療室)を中心に大学病院や、山梨県・千葉県などの病院で小児科医として13年間勤務しました。38歳のときに長野県に戻り、父親と2人で「佐久中央医院」で働きました。その頃から医学が物凄いスピードで進化を遂げ、小児科の世界でも新しい治療法が次々と確立されていきました。医師として、常に新しいことを学び続けていかなければならない大変な環境ではありますが、同時に病気に対する人々の理解が日々深まってきていることも肌で感じています。
2025年6月に佐久医師会の会長に就任し、佐久地域の方の健康的な生活を守るため、医師会に所属する先生方や事務局と連携し取り組んでいます。特定検診、予防接種、乳児検診、学校医・園医として児童・生徒の健康管理や保健指導、市民向けの公開講座を開くほか、住民の健康を支える活動の一環として、月刊ぷらざ「教えてドクター みんなの医学」も再開させました。
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何ごとも前向きに取り組む
30歳頃から少しずつ仕事の合間にスポーツを再開するなど、プライベートでは常にアクティブに動き回っています。休日を使い、日本百名山のうちの70山ほどにも登りました。また、佐久市強歩大会には何度も出場し、2025年には27回連続で踏破することができました。現在は30回連続踏破を目標にしています。他にもバドミントンやカラオケを楽しんだり、古墳や遺跡も好きなので古墳巡りのために県内各地や群馬県の古墳にも足を運んでいます。 活字中毒なので本を読むことも好きですし、フィギュアなどのミニチュアや古銭を集めることも楽しんでいます。仕事や趣味も、常に新しいことを学び、挑戦を続けながら、心も身体も健康的に活動を続けていきたいと思っています。
すがわら としあき 1956年富山県生まれ 長野県長野高等学校卒業後、名古屋保健衛生大学(現・藤田医科大学)に入学 順天堂大学小児科での勤務を経て、1994年より佐久中央医院で働き始める 2025年佐久医師会会長就任
